私はというとそんな才能を持ってはいなかった。私が初めて描いたいくつかのデッサンが子供のデッサンの展覧会に出ることはなかったろう。子供らしい不器用さや無邪気さが ほとんど欠けていたからだ。
私はそうしたすばらしいヴィジョンをもつ段階をあっという間に過ぎてしまった。がきと呼ばれる年齢で私はアカデミックなデッサンをやっていた。その綿密さ、正確さが私をおびやかした。 私の父はデッサンの教師だったので、おそらく他ならぬ父が私をあまりに早々にそうした方向へ進ませたのだろう。
' ピカソとの対話 ' ( 1946 年 ) より
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